家族と一緒に。過ごすとは。
ある年の夏。
母が病気で倒れ、「今日がヤマです」と宣告された。
こんなにもあっさり ” 命 ” に終わりが来るものか
とあの時は自分でも驚くほど冷静に来たる「死」を受け止められた。
母は一命をとりとめた。命が助かっただけでも奇跡だといえる。
半分以上の人が死に、残りの半分は重い障害が残る病だ。
あれから数年が経つ。
最初の半年は、これから先どうなるだろうと、色々とネットを調べては
これまでの母との思いでを振り返っていた。
病院で管に繋がれて別人のように見た目も変わり果てた意識のない母を見て
こんなにも突然に別れがくるのか、とその時やっと自分事として感じられた。
母が倒れてからすぐ、仕事を辞めた。
以外にあっさりと決断できた。
ちょうど昇進したばかりでこれから期待の、というところだったが
転勤を予定しており、新居に引っ越してまだ6日しかたっていなかったが
そんなこと関係なかったかのように、あっさりと退職した。
キャリアや、お金よりも ” 命 ” だったからだ。
私は決心していた。側にいようと。
一命をとりとめたのだから、まだ生きている。
もう一度死がくるその時まで、傍にいようと。
少しでも時間を共有しようと決めた。
いつかくると思っていた別れは、すぐ目の前にあったからだ。
後悔してからでは遅い。
失いたくないもの、大切なものはすぐに手に入れよう。
伝えたいことはすぐに言おう。
いつか、と思わずに行動しよう。
あの時から、そう思うようになった。
そうして数年が経ち。
母は回復してきている。
意識が戻り、なんと会話もできるようになった。
記憶も少しずつ取り戻しつつある。
この生活が私は好きだ。
今しか追えないもの、自分にしか守れないもの。
それを大切にしたい。